ワタシにとって「お取り寄せ」は、美味しい思い出を作り幸せな記憶に再び出会う鍵のようなものです。
旅先で出会った味、ふるさとのいつもの味、かけがえのない人と食べた味。
思い出の味・・・もしも、遠く手が届かなくなっても今の自分のいる場所で再び出会えたら幸せな記憶がより近くに感じられると思っています。
結局のところ、ひとつでも多くそんな「美味しい鍵」を残したくてお取り寄せしている気がします。– aiko*
「365日お取り寄せ生活」について
初めまして。「365日お取り寄せ生活(旧365*style)」にようこそおいでくださいました。
「お取り寄せ生活研究家aiko*のお取り寄せ日記」というブログを2004年から運営させていただいていましたが、何度か名前を変え2013年より引っ越し、現在のURLで「365日お取り寄せ生活(旧365*style)」としてスタートしました。
引き続きどうぞよろしく応援よろしくお願い申し上げます。
以下、私のお取り寄せに対する気持ちをメディア様などで取りあげていただくプロフィールにもある「母の影響で」のその部分を中心に母の思い出とともに書かせていただきたいと思います。
お取り寄せとは
初めてお取り寄せしたものはキウイでした。
よくきっかけは?と聞かれるのですが、お取り寄せ生活が私の人生で欠かせないものになったのは親元を離れて横浜に嫁いでからですが、初めて「家にいながら美味しいものが届く幸せ」を自分で感じたのは20歳ごろのことです。
私が幼いころから母はお料理の先生をしていました。まだそのころは母も元気で、私が台所に立つのは自分のお弁当を作るときくらいでした。
ある日インターネットで見つけたホームページに書かれていた「キウイがたくさんなったのでお分けします」との日記。
自宅が農家で自宅用に別にキウイを育てていて、たくさんできて味は保証付きだけれど小さいので家庭用でお願いします・・そんなことが書かれていたと思います。
送料のみで「譲ってもらった」キウイ。
届いたらすごい量で、私の知っているキウイの半分のサイズもなくて小さくて母が「こんな小さいのどうすんの?」って笑ってたのに、会社からかえってきたら全部きれいに皮をむいて冷蔵庫に入っていました。
そのキウイ・・本当に今も覚えていますが本当に甘くて母と「ありがたいねー。美味しいねー。」と食べたことを覚えています。
母が料理がものすごい上手だったので、母の手料理しか父が食べなかったので、私の出番はなく、ずっと美味しいものが当たり前のように出てきて、「この間もらった〇〇美味しかったデス!御馳走様です!」といえば生徒さんたちが私が飽きるまで届けてくれて、贅沢な「与えられる」環境だった私が「自分で見つけた」もので家族が笑顔になっていることに、母が「愛子がパソコンで見つけてきたキウイが小っちゃくて笑えるんだけれどすごく甘くておいしかったのよ。」と自慢するのを聞いて「ハマった」のが今思えば今につながっている気がします。
キウイなんてどこにでも売ってるけれど、その小さなキウイは、家族のために植えられたもので、「おすそ分けしよう」という優しさを通じて我が家にきて、そのキウイは私が知っているキウイよりも何倍も甘くておいしくて。
段ボールに無造作にその土地の新聞紙と一緒に入れられたキウイは田舎のない私にとってはあこがれていた「食べきれないくらいの果物が届く」感じもなんだか素敵なものにうつりました。
それまでは会社帰り毎日閉店間際のデパ地下に行くのにハマっていたんですが、「ネットならもっと広い範囲で美味しいものが知らないものが見つかるかも!デパートに並ばない美味しいものがあるかも!なんか宝さがしみたいやん!」と思ったのでした。
「お取り寄せ」はいつか思い出を紐解く「鍵」
私たちは、生きていくために365日×3度食事をします。おやつは心の栄養というくらいですからおやつも含めれば、人生の中で「食べる」というのは生きていくために欠かせないことですが、それと同時にコミュケーションとしての「食の記憶」はとても大切な思い出です。
「初めてのデートで食べた味」「お母さんの味」「家族旅行でみんなで食べた味」シーンはいろいろですが、「美味しい」とともに記憶されている幸せって結構たくさんあります。少し落ち込んでも美味しいものを食べて笑顔になれればまだまだ頑張れたりもします。
ここでエピソードを一つ。
昔日本海に家族で1泊旅行に出かけたことがあります。私が小学校3年か4年だったと思います。
両親と祖母と。すごい雪でチェーンを巻いても滑る雪道は怖く宿についたとき家族で胸をなでおろしました。
その時の朝食に出たごはんのお供がとても美味しくてどうしても持って帰りたいと思ったのだけど、宿で作っているものでお土産用がなくあきらめました。
近くのお土産屋さんにも出向きましたが見つからず。
そしてほんの10年ほどまえのことです。
ご当地名物としてお取り寄せできることを知りました
自宅で食べた途端、「この味だ!」という気持ちと一緒にその当時の思い出がよみがえってきました。
雪道を乗り越えて疲れ切った父を置いて祖母と宿の前で大きな雪だるまをつくったこと。
そこに一匹の茶色い犬が突然寄ってきておしっこして回れ右をしていってしまって、祖母とおなかを抱えて笑ったこと。
いつも家族のために立ったり座ったりを繰り返す母がゆっくり座って同じペースでご飯を食べていてそれがうれしかったこと。
夜の食べ放題のカニが「食べ放題くらいたべられる」であって、お代わり出来ないシステムだったこと。
足りないので船盛についていた鯛の頭を鍋に入れてたべたら、それは実は朝のお味噌汁になるはずだったらしく笑われたこと。
追加でお取り寄せして実家にも持っていくと「あーこの味だねえ!」って。
そこから父の「ほんま・・あの雪道をあのシビックはきつかった、愛子は怖がって半泣きやったし」と思い出話に花が咲きました。
祖母も旅立ち、母も病気で体が不自由になり、長時間の外出は難しく、2度とその場所へは戻れなくてもそんな風に楽しい記憶をまた家族で分け合えることができました。
私は横浜に嫁いできたわけですが、自宅で使っていたなれた調味料を「お取り寄せ」という形で揃えることができたたため、舌で覚えた実家と同じ味をそのまま作り続けることができました。
母の代わりに、母の生徒さんが時々「母心宅急便」と題して、地元でしか手に入らないお気に入りの「美味しい」や母と私がよく食べた味を買って送ってくれました。
書き出したらとまりませんが、そんなふうに「美味しい」は忘れたくない記憶とともにあることが多い人生でした。お弁当は母の一番のラブレターだったし、母が忙しくいなかったゴールデンウィークに父が作ってくれた親子どんぶりの味は今でも母のつくったそれより美味しかったと思うほどです。母のために高速飛ばして明石まで焼き穴子を買いに行ってくれた方・・・書き出したら止まらなくなるほどですが、共通にあるものは、「美味しい記憶」の主役はその味ではなくその時の「きもち」であるということです。
「美味しい」は、素材の良さや味付けだけではなく、どんなシーンで誰とどんなふうに食べたかが一番重要だと思っています。
「お取り寄せ」は誰にでも平等な「鍵」を作るツール
そんな「美味しい」ですが、よく「やっぱり実際に現地に行ったりレストランで食べるものとは違う。」「都会に住んでいたらお取り寄せする意味がない」と言われることがありますが。
忙しかったり、家族がいろんな事情で減ったり、離れ離れになったりして、その思い出を呼び起こす「味」が遠くなってしまうことがあります。
お料理があまり得意ではない方も、忙しくてレストランやデパ地下の空いている時間に行けない方もいらっしゃると思います。
でも「お取り寄せ」って平等だと思うんです。それに気づいたのは、先ほどお話しした横浜に来て実家(関西)の調味料を取り寄せたりするようになってからです。
初めて東京で天丼を食べた時、横浜でうどんを食べた時・・「ちがう・・」とものすごくホームシックになったことがあるのですが、家の中を自分の味にすることで乗り切れました。
お取り寄せは、受け取る場所とそのかかるお金があれば、忙しくても、そこに戻れなくても、自宅で楽しむことができます。
それが私にとって最大の魅力です。それが私にとって「お取り寄せ」です。
「幸せな記憶を取り寄せる(呼び戻す)」「忘れたくない幸せな記憶を作る」そんなツールの一つです。
まるでアルバムを見返してそのころを思い出すように、楽しかった記憶を呼び戻すように、また思い出したくなったらお取り寄せすれば、また明日頑張れそうな気がしませんか?
ふと懐かしい味とともに、故郷にしかない味に出会ったら、実家に電話してみよう、ちょっと無理してでも今度のお休み行ってみようかな、
もうちょっと頑張ってみようかな、そんな風に背中を押してくれたりもします。
また「いつか振り返る日」のための探し続ける「お取り寄せ」なのです。特に初めて食べる味は記憶に残りやすいですよね。
「お取り寄せ」があればアレルギーや食事制限もクリアできることが多いのです。
先ほどの「美味しい記憶」を共有することですが、私は「絶対に家族そろってご飯を食べる」ことを教えられて育ちました。大きくなって家族のスタイルが変わってもせめて一日一度は顔を見合わせて同じものを食べたいそう教えられて育ちました。皆様の中にもそういったご家庭も多いかと思います。
反抗期もあり起きれなかった朝は、制服を着て学校に行く用意をして食事が終わったころ降りていくと父にお味噌汁を顔にかけられたこともあります。
それくらい「喧嘩をしても、何があっても朝は一緒に食べる」がと同様我が家のルールのひとつでした。
それは「一緒に食を共有したらよりお互いを理解できて好きになる」という考え方にとてもよく似ています。
でも世の中にはそうしたくてもできない方がいるのです。
アレルギーや病による食事制限など、一緒に同じものを食べたくてもできないのです。
私も、果物アレルギーがあります。
絶対に食べられません。
お医者さんに「もうこの世にマンゴーはないものだと思ってください」と言われました。
一番好きだった果物をあきらめました。
私の母は、人生の後半大きな病にかかり、糖質をはじめ、カリウム、リン、タンパク質、水分とそれはそれは厳しい制限ばかりの生活を送りしました。
最初は、家族とは別の食事を作ったりもしましたが、せかっくの美味しくて楽しい時間がお互い我慢して気を使い、それじゃだめだなと思い根本から立て直しました。
10数年、私が考えたレシピを父が作り、生徒さんが来てつくり、そして一番大事なこと「それをみんなで食べること」
一人だけ違うものを食べるのではなく家族みんなで一緒に食べられる制限食を母と相談しながら、学校給食の栄養士さんが使う高価なソフトを使って、お気に入りの食材は販売元に電話をして調べ、時には1本の問い合わせの電話がまわりまわって文部科学省の研究する施設までまわったことも。
我が家になくてはならないお醤油がありますが、お店の方が丹念に調べてお返事をくれたこともあります。
おかげさまで母は制限前の味をほかの食材でカバーしながら楽しむことができました。家族一緒に。
それくらい必死で作ったレシピ数百回分の献立(品数ではなくは、献立単位です)は病院でも譲ってほしいといわれるほど完璧で、味もよく、ほめられました。
「食べること」=「生命力」です。
母が最後まで寝たきりにならず何度も奇跡を起こし「食べることを楽しめた」のはそのせいだったと自信を持って言えます。
母が、食が細すぎて、食べられなかった私のために一生懸命アイデアを駆使して作ってくれた幼い時の苦労をこれで少しは返せたかなと思っています。
それくらい「同じもの」を食べることは「人生を乗り越える力」になることがあって大事なのです。
糖質オフのケーキも、今はどこが?というくらい味の良いレベルの高いものを有名なパティスリーが作っています。リンを抑えた牛乳もあります。
ゆでてカリウムを落とすのではなく生野菜を食べることも母の時はまだ無理でしたが今は低カリウム野菜というのがあります。
そしてそれをささえてくれたのが、数々のお取り寄せ出来る食材、代替食材なのです。
身近のスーパーだけではなく、日本全国に目を向けると一緒に食べられる食卓を作ることが可能な場合があるのです。
ほかにもたくさんの食事制限をされている方、そのお食事つくりに苦労されている方もいらっしゃるとおもいます。
もちろん私のように食材にアレルギーだとぐっとその範囲は狭まりますがそれでも、例えば子供会やイベント、キャンプでおなじみみんなで食べたら美味しいカレーも、アレルギーを持った子供は一緒に食べられません。大人でもつらいのに、一人だけふりかけ持参できている子を見かけたことがあります。
そんな時、もしアレルギー対応のそれも美味しいカレーがあったら(あるんですよー)お取り寄せできたら、みんなで食べられるし、今ルーも開発されているので、いつまでも記憶に残る「家のカレー」がちゃんとおかあさん手作りで作ってあげることができます。
全部は無理でも、寄り添うことが「お取り寄せ」というスタイルを取り入れることで少し助けてもらうことで可能になることがあります。
また日本全国を苦手な食材も所変われば味も変わるのです。
お仕事で知り合った方は好き嫌いの多い妹さんのためにあちらこちらの人参を取り寄せ、結果妹さんが美味しく食べられる人参がみつかったとか・・・。
素敵なことですよね。