1月17日 阪神・淡路大震災から20年

あの日から20年ですね。

「震災で・・・」というと。東北の?といわれることもおおく。
今日テレビを見ていても、(関西ではまた違うと思いますが)
阪神淡路大震災の話のあと、「それ以上の地震と津波が襲った東北の・・・」と続き、本当に本当に…こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけれど。今日だけは、比べないで、混ぜないで欲しいな・・・震度7の直下型の地震として取り上げて伝え続けてほしいな・・・と思ったり。

20年前私も、成人式の二日後。
今年は20年目ということで、生まれてから震災に会うまで、震災にあってからも20年同じ20年という月日だけれど、成人式の日に思った気持ち通り20年分強くなったのか、考えさせられます。

先日の同窓会でも、震災の話が出て、倒壊した街の中(私たちのあたりは震度7で倒壊率がほぼ100%に近かったんです)受験勉強をしてたお友達や、私がおばあちゃんの倒壊したマンションで1階がつぶれて、たった一人助かったおばあちゃんを待っている私をテレビで見て「これ!愛子ちゃん!生きてる!!おばあちゃんも!」ってみつけてくれたお友達の家族。
私は味の記憶はそのまま思い出につながるというのを日々モットーとして伝えたいことの最大のことだと思ってお取り寄せやブログをしていますが、

「おむすび」を見ると、あの日、自分の家も壊れて瓦礫になったお家から抜け出して、靴がなくて、裸足で炊飯器から前の日に炊いたご飯を見つけて。握って、違う生徒さんのおうちで男物の靴を借り、「うちは大丈夫!〇〇さんもみんな大丈夫!先生大丈夫!?愛ちゃん!おばちゃんおにぎりしてきたから!隠しなさい!!!」って優しいうそをつき、普段本当に品が良くてノーメイクは旦那さんにも結婚して以来見せたことがないという方がそのままの姿で私のポケットにおむすびを突っ込んでくれたこと、
先日その方にもお会いしてそんな話をしました。私にとってのおにぎり・おむすびはそういうものになりました。

私の中では、震災は大変な目にあったと思うし、あんなにたくさんの亡くなった方を見るのも初めてで大変な体験をしたけれど。そのあとのこの15年ほどの母と私達に降りかかることを思えば、あれは「最悪なこと」ではないかもしれない。お友達や親戚の甥っ子さん、お友達の家族は失っても、家族は無事だったので違うんですが。

でも先日父と、「我が家の悲壮感は、かあさんのこの15年の方が多いし、本当に悲しいことがあったけれど、でもこの15年を、母さんは嫌だろうけれどもう一回繰り返せるなら戻りたいけれど・・・でも震災はヤダな・・・」と話してました。

横浜市はこれから起きる大きな地震の確率が高いそうで。
もう一回私はアレを経験するのかと思うとぞっとしますが。

他のお友達もみんなあの成人式の日には想像していなかったそれぞれの20年があり。一言では言えない感情があり。

書きだすと止まらないですね。
おばあちゃんがいってたけれど、助けに入ってくれた方が、「おばあちゃん!良かった!」って暗闇の中、抱きしめてくれたそう。母のためにバイクを買って遠くの病院まで薬を取りに行ってくれた方や、そして腰の抜けた私を震える声で「父さんおるやろ!大丈夫だから!」って私と母を抱きしめて守ってくれた父に。

あの日差し伸べてもらった手や、抱きしめてもらった腕や、差し伸べた手は、知ってる人も名前も知らない人も、今も私の記憶に消えることもなく、感謝の気持ちでいっぱいです。

絶対に風化させてはいけないし。比べてはいけない記憶です。
それが生き残った私達に出来ることだと20年たっても思います。
毎年同じこと書いてますね。

震度7の直下型で倒壊する家の中にいるのって、今も鮮明に覚えていますが、「箱の中に入れられて、その箱をシェイカーのようにふられるようなもの」です。我が家はあの時間だったから助かったんだと思います。あと5分遅かったら火をだして今ここに私はいないと思う。

——————————————
faceBookの個人アカウントに書いたんですがここにも残しておきたいと思います。

広告